私的プロ野球年表をもっとこすりたい
前回のエントリー↓で、
私的プロ野球年表を作成した。
きっかけは、
「最近ほんま野球好きやな~
なんでこんな好きやっけ?そもそもいつからハマったかな」
という自問から、
いい機会やしNPB年表作ったろ!
に発展したからだ。
その完成形がこれ。
前回は近鉄好きになってから球団消滅までを
じっくり自分語りした。
今回はせっかく時間をかけた(実際、5時間位かかった)
この年表をもっともっと振り返りたい!ので、
10年そこらのファン歴だけど虎吉的思い出をざっくり
振り返ることにする。
きっかけはベタに2003年リーグ優勝
暗黒時代はスルーした
自分の生まれは1985年。日本一の時に誕生した。
だからといって、この年に生まれた関西の赤ん坊はみんな
生まれながらの阪神ファンなわけでもない。
関西内では少数派ではあったが、
2004年の消滅までは近鉄ファンだった。
でもこれは当然な気もした。なぜなら阪神は日本一の2年後
1987年から2001年まで、15年の間に10回も最下位になっている。
この年表でもあらためて分かるように、
暗黒全盛期の95年には球団ワーストの84敗を記録。
これがいかにひどいかと言うと
近年で言い換えても、大矢監督のTBS横浜ベイスターズですら71敗。
横浜の暗黒時代なんて可愛く思える。
ちなみに、2005年球団設立2年目の楽天が97敗。
これは分配ドラフト後間もないので仕方がない。
あとはここを見れば十分よく分かる
阪神暗黒時代ってどんだけ弱かったの? – NAVER まとめ https://t.co/NbmEWTzdH8
— わい虎 (@tora_kimochi) September 15, 2016
最も暗く苦しい時代を、ファンとして過ごしていないので
・マゾ気質のない自分にとっては良かったかもしれない
・この時代を乗り切ったガチ勢に対抗できないかもしれない
こんな風に思っている。
そして2003年の優勝
この年は高校3年生だった。大学受験の年だった。
星野仙一監督の2年目のシーズンである。2年目の星野監督の元で選手を大きく入れ替えた阪神は、開幕直後から首位を独走し、7月終了時点で2位に17.5ゲーム差の大差を付け、そのまま2位以下を全く寄せ付けず、18年ぶりのセ・リーグ優勝をぶっちぎりで飾った。(wikipediaより)
7/8 セ・リーグ史上最速のマジック49が点灯
9/15 18年ぶりV こんなの見つけた→ スポニチ 日めくりプロ野球 > 9月
クラス内の多くが夏前からソワソワし出し、
月が進むごとに優勝への期待が確信に変わり、
一部のクラスメートが甲子園のチケットが取れないと嘆き、
そんな奴らを見て「いやいや受験勉強しろや大丈夫かよ」と眉をひそめ、
(当時自分は眉ひそめ側だった)
とはいえ9月になると誰もがつられてお祭りモード。
9/15には長居に住む友人宅にお泊りして、
チャリで心斎橋まで赴き、夜中まで道頓堀ダイブを近くで見ていた。
(´-`).。oO(思い返せば、あの時が六甲おろし大合唱の初体験やったな)
このニワカファンの体験から、今に至る阪神ファン歴が始まっていた。
2005年 正式に虎党入り
2004年のシーズン後バファローズが消滅。
大学1年目で浮かれていた自分には青天の霹靂という言葉がぴったり。
仕方がないので、自動的に阪神ファンになる。
東京の大学なので、周りの友人のひいき球団は実に多様。
もちろん巨人ファン多数。
そんな彼らと競るように応援。2005年は岡田阪神で見事V。
鼻が高かった。
でも東京では、一人で勝手に喜んでいてアホみたいに映ったし
寂しく孤独だった。笑
10年間阪神を見続けているが
2005年以来、優勝から遠のいている。
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