私的プロ野球年表「猛牛編」

どんどん野球観戦にハマっていく

年々、歳を重ねるほど野球観戦が好きになってきた。

以前はこれほどじゃあなかった。
今では毎週月曜日は寂しい気持ちでやり過ごすし、

火〜金は18時の終業(定時)と同時にプレイボールになるのが楽しみだし、

土日は野球中継と重なる時間には外出をしたくない。
春から10月まではシーズンがあるからいいけど、

冬のオフは本当にこたえる。。。

(球春到来は本当にワクワクする言葉だ)

 

きっと、身も固まってきて、

生活のリズムに大きな変化が起こることが少なくなって

そしてそのリズムの中に野球中継がハマってきたからかな。

 

1日のサイクル、1週間のサイクル、1年のサイクルで

野球を見ている。

 

思い返せば、いつから野球好きになったか?

これまでうる覚えになってた昔の記憶をほじくり返したい。

実際のプロ野球史を改めて調べて、

「私的プロ野球年表を整理したい!」と急に思い立つ。
この誰得?俺得!年表は作成するのに何気に手間がかかったけど、

「そうやったなぁ~(しみじみ)」とか、「そうやったんか!」

がいくつもあって楽しいものになった。

 

完成形がこれ。じっくり自分語りしよう。

private_npb_history

私的プロ野球年表をひもとく

自分のひいき球団の経歴は、

2004年の消滅までは近鉄 → 2005年からは阪神だ。

年齢=虎吉の矜持を持つことはできない。

エセから始まった乗り換え組の阪神ファン(現在)だ。

 

誰に自慢するわけでもないけど、しかしながら

ひいきの消滅に出くわすという、なかなか珍しい体験はしている。

 

とにかく、

高校生まで「どこファンなん?」の質問には、

「近鉄ファンです。ブライアントが好きやった」「セ・リーグなら一応阪神かな」

と答えていた。

 

近鉄ファンのはじまり

きっかけは95年。パワプロ2。ゲーム。ハマったな~

そしてこのオーダー!

9内匠4大石Dブライアント5石井3スチーブンス7鈴木8村上2光山6吉田剛

P野茂、佐野、赤堀

img_ralphbryant

ブライアント石井の30発コンビの「ザ・いてまえ打線」

投げては野茂の直球かフォークの2択大エース。

 

使ってて一番楽しいチームで大阪の球団で、当時の暗黒阪神と比べると

近鉄ファンになるしか選択肢がなかった。

そこから自分史的には正式に近鉄ファンになった。

(そもそも父が割り好きらしく、自宅にバファローズのキャップがあったり

幼いころに藤井寺球場で肩車をしてもらいながら応援した思い出があったり、

素地は十分にあったんかな)

 

近鉄の優勝(2001)まで

97年に藤井寺球場から大阪ドームになり、

たしかこの年にユニフォームデザインも一新した。

(今、調べたらエッ!コシノヒロコのデザインなんや・・・へえ)

はじめてこの年から「ファンクラブ」に入会。

 

当時NPBイチロー全盛期。母はイチロー目当て男共は近鉄応援で

バファローズ対オリックスを大阪ドームで観戦によく行ったなぁ。

 

そして2001年!念願のリーグ優勝

「史上最強のいてまえ打線」

8大村4水口7ローズ5中村9礒部3吉岡D川口6ギルバート2古久保

ホームランがなんと!

  • ローズ55本
  • 中村46本
  • 吉岡26本
  • 川口21本
  • 大村16本
  • 礒部17本

ひょえ~、まさに史上最強打線(この合計だけで181本。チーム合計では211本)

 

※ちなみに2015年のチーム本塁打最多はソフトバンクで141本

※実は1980年に239本打った元祖いてまえ打線が最強とか後で調べて知った

※そしてこれを上回るのが2004年の読売で259本。本塁打王はもちろんローズ

 

nogaradjoe

この年の徹底的に打ち合う、

点をとにかく多く入れた方が勝ちにもっていく

「ノーガード戦法」大好きやったな(T_T)

「ほら、もっと打ってこいよ」的な

 

そして貼らずにはいられない!

これ以上ない

北川の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン

「(打球が)左中間へ行ったぞ!!行ったぞ!!行ったぞ!! 今年の近鉄何かが起こった!! なんと!!逆転!!サヨナラ!!満塁!!ホームラ~ン!! 代打北川!! これ以上の出来事はない大阪ドーム!! 帽子を投げ捨てた北川!! (近鉄のベンチに控えていた4番打者の)中村走った!! 北川を出迎えた!! (北川よ)しっかりと(ホームベースを)踏め!!しっかりと踏めよ!!ちゃんと踏めよ!!ホ~ムイ~ン!! 今年の近鉄何かが起こりました!!3点ビハインドから神がかり!!」

(楠淳生実況アナウンサー)

 

は~泣いた。いつ見ても泣ける!

近鉄ファンとしてはここが頂点やったなぁ…

本当にこれ以上ない所まで来ていた。

 

そして消滅(2004)へ

2002年に阪神に星野監督が就任し、

2003年にはとうとう85年以来の悲願のリーグVを飾る。

 

“セ・リーグなら” 阪神ファンの自分も、周りの喜びに同調して

一緒にちゃんと優勝気分を楽しんだ。

ベタにひっかけ橋まで騒ぎに行ったな笑

道頓堀川へのダイブを見物した。

 

虎ファンとしては当時ニワカだったけど、

この時代から暗黒阪神のイメージは完全に無くなった。

自分史的には初めて阪神にじわりと熱が高まった。

同じ大阪同士これからも頑張ろう。日本一を懸け合おう!みたいな。

 

しかしながら

2004年のシーズン終わり、一方で我が近鉄バファローズに激震。

当時の自分には寝耳に水、あっという間に消滅した。

 

オリックスとの合併により「オリックスバファローズ」となったが、

いくら名前が残ろうが、いくら選手の多くが残り

本拠地が大阪ドームだろうが、違うものは違う。。。

 

こうして唐突に自分の「近鉄ファン」歴は終わる。

buffalo

(当時は情報に疎くて、近鉄が貧乏で売却した程度しか理解していなかった。

今度、もう一度調べ直してみよう。)

 

 

そして、切り替えがつかないながらも

ほぼ自動的にじゃあという形で阪神ファンになる。

 

「近鉄は選べません」「好きな球団を選んでください」

「じゃあ、まあ阪神で」くらい空虚に選んだ。

当時のショックさで言うところの空虚さだ。

 

繰り返すと、

2004年の消滅までは近鉄 → 2005年から阪神。

エセから始まった乗り換え組の阪神ファン(現在)。

 

それでも2005年から今日に至るわけで、いつの間にかもう

10年のキャリアを数えるわけか。

年取ったはずやな、でこのエントリーは締まる。

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